鹿革を加工した工芸品は、仁賢天皇六年(西暦493)に
高麗の革工によりもたらされたと、日本書紀にあります。
当時は紫草の根から染料をとったり、あかねの根の汁で染めたりした上に絵を描いたり、
木版等を使って文様えを印して着彩などをしていました。
当時から松ヤニなどをフスべてその煙により着色した技法もあったようです。
西暦900年代に入ると武人が甲胄に使用するようになり、
文様も小桜、しょうぶ、菱など種類も多くなりました。
応仁の乱(1467年)以後、乱世を反映して武を事としたので
革工は大いに栄えることになります。
大永元年(1521年)に武田信玄が誕生し、
ここに甲州での印傳の歴史が始まったのです。
信玄袋と呼ばれる袋物は、当時の甲冑すっぽり入る大きさで、
鹿革の丈夫さが重宝がられました。
寛永六年(1629年)に幕府に上納された外人のみやげ物の華麗な彩色に刺激され、
これを擬して造ったものを「いんであ革」といい印度伝来という意味で
「いんでん」の語源となりました。
1716年になると甲州の革工が革に漆付けを精製し、
これは、松皮いんでん、地割いんでんとも言われ革肌はきわめてなめらかでした。
1772年になると、京師の革工が更紗風の印花革を造り、
重宝がられこのころの句に
「印傳を 開けて橘 二つ買い」
というのがあります。
1867年大政奉還となり、諸大名は競ってくら馬を飾り革ばかまや革足袋をもちい、武士も町民も好んで巾着を持つようになりました。その後、太平洋戦争時代には鹿革はその通気性を利用して、航空燃料の濾過に用いられました。
昭和50年に甲府印傳商工業組合が設立され、
新しい時代の印傳が発展製造されています。



